日本沐浴文化研究

来源:二级建造师 发布时间:2020-09-06 点击:

 日本沐浴文化研究 日本の風呂文化について

 目次

 摘

 要 要 .........................................................................................................................

  要 要

 旨 ....................................................................................................................... I

 はじめに ....................................................................................................................... 0

 第一章 風呂の歴史 ..................................................................................................... 2

 1.1大衆浴槽の発祥 ......................................................................................... 2 1.2銭湯の発祥 ................................................................................................. 2 第二章

 風呂文化の発達した原因 ........................................................................... 6

 2.1水と気候 ..................................................................................................... 6 2.2火山 ............................................................................................................. 7 2.3自然崇拝と禊 ............................................................................................. 8 第三章

 現代の日本の風呂 ..................................................................................... 11

 3.1家庭浴槽 ................................................................................................... 11 3.2大衆風呂場 ............................................................................................... 11 3.3温泉 ........................................................................................................... 12 第四章

 風呂文化から見た日本人の特徴 ............................................................. 14

 4.1日本人の清潔意識 ................................................................................... 14 4.2日本人の審美意識 ................................................................................... 15 4.3主な社交場としての存在 ....................................................................... 16 おわりに ..................................................................................................................... 18

 参 考文献 ..................................................................................................................... 19

 謝辞 ................................................................................................ 错误!未定义书签。

 摘

 要

 沐浴对于日本人来说,作为愉快生活中不可或缺的一部分,早已渗透到日常生活的各个方面。沐浴之所以有如此重要的地位,一方面是因为有卫生保健的医疗功效,另一方面也蕴含着浓厚的宗教文化。自古以来日本的文化层出不穷,而洗浴文化却一直如此醒目。这究竟是为什么呢?本文通过对洗浴文化的发展的历程,发展的原因以及对日本人审美意识和清洁意识等的研究来更深的了解日本这个独树一帜的洗浴文化。通过本文的研究可以发现日本独特的沐浴文化很巧妙地诠释了其崇尚的自然,时代在变迁,沐浴文化也在逐渐地改变。但是,作为日本社会的缩影,它已经成了每一个日本人都不可缺少的生活的一部分了。

 关键词 :沐浴

 发展

 清洁意识

 审美意识

 自然崇拜

 要 要

 旨

  お風呂は日本人にとって愉快な生活の重要部分として、もうさまざまな日常生活に染み込んでいる。お風呂はそんな重要な地位になった。衛生保健の効能がある一方で、宗教文化も含まれる。昔から日本の文化は次々と現れて尽きない、洗浴の文化はずっとこんなに人目を引く。これは一体どうしてであるか?本文は沐浴文化の発展についての発展、発展の原因、および日本人の審美意識と清潔意識などへの研究を通じて、日本独自の洗浴の文化を深く理解することになった。本文の研究を通じて、日本独特の風呂文化は日本人の自然への崇拝を巧みに表していることがわかった。時代がかわるとともに、風呂文化も徐徐に変わっているけど、日本社会の縮図として存在している風呂文化はもう日本人には欠かせない生活の一部になっている。

  キーワード

 :

 お風呂

 発展

 清潔意識

 審美意識

 自然崇拝

 はじめに 日本の映画、あるいはドラマを見たことがある人は、きっと最も感動のは多分しきりに出る入浴するというシーンだ。

 中国人にとって、これは多分1つの恥ずかしくて口に出しにくい話題かもしれないが、日本人にとっては、これは最も自然で、普通な事の一つである。1日三回の食事のようになくてはならない。日本が入浴を非常に重んじる民族だと言われたが、その他の民族が入浴することが好きではないという意味はない。欧米人も好きでやることも疲れない。しかし、欧米人の清潔衛生という入浴の目的と違い、日本人にとっては、入浴はもう一種の楽しみまで昇華した。これは日本社会における特有な生活文化の価値観である。日本人はこのように沐浴に夢中になる理由は、深い文化の背景があったことである。

 日本独特の沐浴文化は巧みに日本人が尊ぶ自然を解釈した。時代が移り変わり、沐浴文化も徐徐に変わっているけど、日本社会の縮図として存在している沐浴文化はもう日本人には欠かせない生活の一部になった。

 黄学杰(2003)《日本の沐浴文化》では次のように書いてある:入浴することは日本人にとって一日三回の食事のような不可欠なことである。これは体を清潔にするだけでなく、もう一種の楽しみまで昇華した。これは日本の生活文化の中で特有な価値観である。

 式亭三馬(2001)《浮世風呂》では次のように書いてある:“世の中、入浴するのは交流して教育する最適切の近道である。あなたは貴人かまたは普通の人に関わらず、 入浴する時に誰でも裸で、 誕生した時と同じだ。このようなはだかあつきあいは、 人の身分の高低や心の善悪を忘却させて、 一種のなにも求めないの仏教の境地を昇華する。これもどうして沐浴文化が日本でこのように迅速に発展するの一つの原因である。

 陳芳(2009)《試論日本洗浴文化》では次のように書いてある:日本が今も1つの等級の観念がものものしい国である。しかし、例外もある。それはお風呂に入る時。戦闘は人々がお互いに各種の情報の集散地だけでなく、社交

 や娯楽の場として人々にしたしまれる。または風呂につかるのも相互に感情の増進を促すにとって効き目がある方法の一つである。

 本文は風呂文化の発展の歴史と発展の原因から研究して、日本の特別な清潔意識や審美意識などを深く理解する。

 今まで日本風呂文化に関する研究はいずれも総合的に分析するものにとどまり、日本人の文学や宗教など、精神的な面からの研究が多くて、具体的に論じるものはとても不足していると感じた。そこで、本論文は日本風呂の歴史をふまえ、そのうえ、日本の風呂文化から日本人の特徴を研究し、論じてみたい。

 第一章では、日本のお風呂文化についての歴史を紹介する。

 第二章では、日本の風呂文化の発展の原因、水と気候、火山があること、自然崇拝と禊が例をとしてあげられる。

 第三章では、現代の日本の風呂の種類、つまり、家庭浴槽、大衆風呂場、温泉を紹介する。

 第四章では、日本の風呂文化から見た日本人の清潔意識や審美意識などを紹介する。

 第一章 風呂の歴史 1.1

 大衆浴槽の発祥

 お風呂の歴史は、6 世紀に仏教が伝わるとともに、中国から伝わってきたといわれている。仏教では「お風呂に入ることは七病を除き、七福が得られる」と説かれていたことから、お風呂に入る事は健康に良いと理解されていた。以来、寺院では「体を洗い浄める」という大切な業の一つとして浴堂が備えられるようになり、浴堂のない庶民にも入浴を施したことから、お風呂に入るという習慣が始まったとされている。

 大仏様で有名な東大寺には、多くの学僧や僧侶の心身を清浄にするため、寺院として始めての湯屋が作られた。1282 年に作られたとされる、現存する最古の浴槽、東大寺の大湯屋は、約 1000 リットルの大釜でお湯を沸かし「鉄湯船」と呼ばれる浴槽(2000~3000 リットル)にお湯を供給する給湯方式が採用されていたそうである。

 平安時代、上流公家の入浴回数は、普通 1 ヶ月に 4~5 回だったそうである。他の日は行水をしていたとされているから、少なくとも上流の公家達は、2,3日おきにお風呂を使っていたことになる。

 「明月記」には、寛喜三年(1231 年)、関白藤原道家親子が、自分の別荘に有馬の湯を、毎日牛車で 200 桶も運ばせて、入浴していたという記述があるそうである。

  1.2

 銭湯の発祥

 江戸時代には「御殿湯」といって、熱海の湯を人足が担いで江戸城まで運んでいたそうである。

 江戸時代まで「お風呂」と「湯」は区別されていたそうである。

 「お風呂」とは、釜に湯を沸かし、その蒸気を浴槽内に送り込み、熱い水蒸気により身体の垢を浮き上がらせて、適当な時間に室外に出て笹の葉などで、身体を叩いたり、なでたりして垢を落とし、近くに用意したぬるま湯や冷水で

 身体を充分に洗うというもので、「湯」とは、今日一般の家風呂や銭湯と同じであったそうである。

 五右衛門風呂 ① とはカマドを築いて釜をのせ、その上に桶を取り付け、底板を浮き蓋とし、その板を踏み沈めて入浴する。

 五右衛門風呂の名前の由来は、豊臣秀吉が石川五右衛門をかまゆでの刑にしたという俗説から生まれたのだそうである。

 五右衛門風呂は底が鉄製なのに対して、長州風呂は全体が鉄製である。現在では長州風呂も五右衛門風呂として一般的に呼ばれている。

 長州風呂は、大きな鉄の湯釜が浴槽である。

 これに別の鉄釜でどんどん湯を沸かし、このお湯を浴槽に運び入れたり、桶などを利用して流し込む。適当に水を注いで湯加減を見て入浴する。

 現代では五右衛門風呂と同じように、下から加熱して、湯を沸かせる。五右衛門風呂との違いは、木の桶があるか、ないかだけのようである。

 純粋な公衆浴場「銭湯」が登場したのは江戸時代といわれている。家康が江戸入りした翌年1591年には、江戸に湯屋が開業しているそうである。

 小屋の中に石を多く置き、これを焼いて水を注ぎ湯気を立てる。その上にすのこを置いて入る蒸気浴であったそうである。今で言うサウナのようである。これは、江戸の街の建設に携わる出稼ぎの庶民、労働者のニーズに応えるものであったようで、なかなか好評だったそうである。

 蒸し風呂から今日の銭湯に変わる前に「戸棚風呂」というお風呂ができた。その構造は、蒸し風呂の底に湯をいれ、下半身を湯に浸し、上半身を蒸気で蒸した。

 お風呂と温浴をミックスした仕組みになっている。サウナのように中で温ま

 ① 五右衛門風呂(ごえもんぶろ):据(すえ)風呂の一種。竈(かまど)を築いて釜(かま)をのせ、その上に桶(おけ)を取り付けて下からたいて沸かす。底板を利用して浮蓋(うきぶた)とし、その板を踏み沈めて入浴する。『東海道中膝栗毛(ひざくりげ)』(初編)に、この風呂が関西に流行(はや)ったこと、燃料が少なくてすみ経済的であることが記されている。厳密には桶の底である釜だけが鉄製の五右衛門風呂と、全体が鉄製の長州風呂とは違うが、よくこれを混同される。豊臣(とよとみ)秀吉が石川五右衛門を釜茹(かまゆで)にしたという俗説からこの名が生じた。

 って垢の浮いたところを洗い場で洗い落としたそうである。引き戸を閉めて戸棚に隠れるような感じから「戸棚風呂」といわれたそうである。燃料不足や水不足のためこうした形になったということだそうである。

 その後「戸棚風呂」は、「柘榴口」というものに変わっていきた。

 浴槽の外側を破風屋根の小屋で覆い、三方を羽板で囲んでしまいる。一方の入り口のみは開いていて、上から半分位のところまで板戸のようなものが作られた。その板戸には、三保の松原や牡丹に唐獅子などの絵が描かれていたそうである。そして、その左右の柱には漆喰や金色の金具が巻いてあり、すこぶる美しかったそうである。

 この入り口のことを「柘榴口」と呼んでいたそうである。お風呂の浴槽に入る客は、この板の低い入り口から頭を下げて入り、1,2 歩先に進む。そこには2m70cm 四方で湯量が少なくてすむように浅くした浴槽がある。

 内部は、入り口からの光線しかなくて、お風呂の中は、こもった蒸気で暗く、人の顔もわからない状態だったようで、風紀上問題も多く、人が殺されていても分からないなんていうこともあったようである。

 銭湯ができた当初は、お風呂は混浴で男湯・女湯の区別はなかったということである。

 老中松平定信による寛政の改革(1791 年)、水野忠邦の天保の改革(1842 年)などで混浴は禁止されたそうであるが、徹底できなかったようで、明治時代になっても混浴は続いていたそうである。

 また、当時から薬湯専門の湯屋もあったそうで、柚湯や菖蒲湯など利用していたそうです。今でいう「ハーブ風呂」である。

 そして、銭湯は流行に敏感な江戸っ子達の社交場でもあったようで、様々な銭湯文化が生まれた。その頃から日本では、入浴という習慣が庶民の間で根づき、世界に類を見ない「風呂好き国民」となったといえるでしょう。

 明治 10 年ごろ、東京神田に新しい銭湯ができた。

 この銭湯は浴槽を板間に沈めて湯をたっぷりと入れ、さらに流し場の天井を高くして湯気抜き窓を設けた、従来の銭湯と比べてかなり開放的なものであった。

 これより銭湯は明るく清潔になっていきた。

 明治 17 年、警視庁は柘榴口式浴場を風紀上の問題から禁止したため、現在の銭湯の形へと変わっていった。

 明治時代の日本人のお風呂の入り方に関する、B.H.チェンバレンという人の手記によると、「毎日下着を替えるヨーロッパのやり方からみると、お風呂から上がると、また汚い着物を着る日本人のスタイルは、不潔に感じる人もいるが、しかし、日本の下層階級の人でも、いつもお風呂に入り、身体をゴシゴシ洗っているから、日本人の着物は外部は埃で汚れていても、内部が汚いということは考えられない。日本の大衆は世界でも最も清潔である。」と言っている。

 大正時代になると、さらに銭湯は近代化されて、板張りの洗い場や木造の浴槽は姿を消し、タイル張りに。そして、昭和2年(1927)には、浴室の湯・水に水道式のカランが取り付けられ、衛生面でも向上する。

 今日では銭湯もさまざまな趣向が凝らされ、サウナを設置したり、気泡風呂にしたり、スポーツ設備を整えたりなど、ユニークなものが登場しています。

 現在では、お風呂でテレビを見たり、お風呂で音楽を楽しんだりと、様々なスタイルでお風呂タイムを満喫できますし、入浴する事でのダイエットや健康にも、色々な方法や知識が広がっている。

 第二章

 風呂文化の発達した原因 2.1

 水と気候

 日本はアジア大陸の東側に南北3500kmにわたって、弧状に位置している島国である。日本の東と南西に太平洋があり、アジア大陸と日本の間には、オホーツク海と日本海と東中国海がある。

 日本は日本海と東中国海を隔てて、中国、韓国、朝鮮と向い合い、東は広い太平洋を隔てて、アメリカと相対している。北にはオホーツク海を隔てて、ロシアのシベリアがあり、南には太平洋を隔てて、ファリピンやインドネシアなどの国々がある。周辺は全て海で、島国だと言われた。

 日本は中緯度地帯に位置するため、全体的に見ると気温が温暖で、四季の区別がはっきりしている。しかし、列島の北端から南端まで3500kmあるので、地域によって気温の差が大きい。

 また、日本はアジア大陸の東端、太平洋の西端にあって、季節風帯にあるうえ、周囲が海に囲まれているため、夏も冬も季節風が雨や雪を降らせる。このため日本の気候は多雨多湿である。春になると、移動性高気圧と温帯低気圧が交互に日本列島を通過する。大陸から日本海に発達した低気圧が進んでいくと、激しい南風が吹き、日本海側ではフェーン現象が見られることがある。高温多湿な小笠原気団と、冷涼湿潤なオホーツク気団との間に、東西に伸びる梅雨前線が日本列島南岸に停滞すると、梅雨の季節に入る。夏至を含む季節であるにもかかわらず、特に西日本を中心に降水をもたらすので、日照時間は短くなる。小笠原気団がほぼ日本全土を支配すると、梅雨明けである。晴天が続くが、湿度が高いので、熱帯地域以上に寝苦しい夜となることが多い。夏の終わりから秋にかけては、台風が到来する。この時期は台風の襲来だけでなく、発達しはじめた揚子江気団と、子笠原気団との間にできる秋雨前線により、比較的雨が続くことが多く、秋霖の季節と呼ばれている。この時期が過ぎると、移動性高気圧と温帯低気圧が交互に日本を通過し、比較的に恵まれ、秋晴れの季節となる。そして、寒冷なシベリア気団から季節風が吹き出すと、もう冬の訪れである。シベリア気団の勢力が衰えるまで、春は来ない。

 このように、地域によって気温の差が大きいこと、雨量が多いことなどは日本の気候の主な特色である。

 そのため、日本の夏は、暑くて湿度も高い。汗で体がべとべとしている時や雨に降られてぬれた時など、お風呂に入れば、さっぱりして気持ちが良くなる。また、寒い冬には、熱いお湯にしばらくつかっていれば、体が温まってきる。日本のお風呂は、疲れも取ることが来て、健康にとてもいいのだ。

 2.2

 火山

 日本には、水が多いのみならず、火山もたくさんある。

 環太平洋造山帯に属している日本列島は、太平洋に頭を出した山脈の頂部に当っている。険しい山地を形づくっており、山が多い地形をしめしている。

 日本の総面積のうち、山地、丘陵が65%、火山地が10%を占め、合わせると75%に達する。世界的に見ても、日本は山地国という性格が強い。

 火山が多いことも、日本の地形の大きな特徴である。全国で約160の火山で、世界有数の火山国といわれている。

 日本には、大きな火山帯がある一つは北海道から本州を通って小笠原諸島に続いている東日本火山帯で、もう一つは本州西部から九州を通って南西諸島へ続いている西日本火山帯である。そのうち、七つの小さな火山帯を含む、それは千島火山帯、那須火山帯、島海火山帯、富士山火山帯、乗鞍火山帯、白山火山帯、霧島火山帯である。

 日本では、風光の優れた代表的観光地の多くは、火山と深い係わりを持っている。非火山の山々と比べ、起伏が緩やかなので、農業用地に利用でき、スキーやゴルフなどのレジャーに適する。火山の麓からは温泉の湧いているので、保養地としても利用価値が高い。その地方の人々にとって火山は、大きな観光資源なのである。

 火山がそんなにおおいのため、日本には温泉地の数4000箇所以上もある。温泉地が一つもない府県は存在しない。そのうち、別府温泉、熱海温泉、箱根温泉などは、よく知られている。

 日本ほど温泉に恵まれた国はないだろう。この狭い国土に温泉地の数は、宿

 泊施設のあるところだけでも2400か所余りある。宿泊施設を持たない温泉地も含めると、実に4000か所以上にものぼる。ヨーロッパで比較的温泉の多い国といわれるイタリアでも、日本の10分の1以下というのだから、日本がいかに温泉の多国であるかが分かる。

 日本人が海外旅行から帰ってきて、まず、したいと思うことは、ゆっくりお風呂に入る事だと言われて居る。長い間、外国で生活している日本人も、その国の音場で話、その国の習慣で食事をしていても、お風呂だとは日本式のお風呂に入りたがる。

 今は、各家庭でも、温泉をまねて様々な薬をお湯に入れることがある。お風呂は日本人の生活や健康と深く関係し、なくてはならないものになっている。

 2.3

 自然崇拝と禊

 2.3.1

 自然崇拝

 古来より自然豊かな山々や土地、海に囲まれた日本は、五穀豊穣の恩恵に与えり、人々は自然崇拝の念を強く持っていた。

 日本人は人間と自然との調和を尊敬する。建築や庭園の様式でも、日本では自然をそのまま生かして素材としていこうと努める。日本にとって、自然はあくまで恵みを与えるもの、親しむべきものであり、決して人間と対立する厳しく、むごいものではない。自然は生育をもたらし、実りをもたらすものであることによる。父祖代々がその自然とともに生き、やがて自然に帰っていき、自分自身もその道をたどる。それゆえ自然と自分を一体化し、自然の心をわが心として生きる感情が日本人の哲学、思想、宗教などすべての精神活動の根本に流れている。このような自然への親しみ、自然と我との一体化は、さらに自然を楽しみ、現世を謳歌する現実肯定の考え方を生み出していく。

 春夏秋冬の四季の微妙な変化から様々な芸術や生活習慣が生まれている。文学において自然はいつも重要なテーマであり、特に和歌や俳句が花鳥風月を詠い、俳句に季語を詠み込むのも、その小世界に自然を取り入れようとする姿勢の表れである。茶道や庭園、華道などにおいて、人工の極致として、ありのままの飾らない自然を再現するようになった。つまり、自然と一体となって、ありのままの力を発揮することであるとしている。

 その一つとして、「水の力」に対して、ある種の信仰のようなものがあったと言われている。今ではすっかり水が汚染されてしまっているので、改まって水の力など考えもしないが、昔、その昔の山々から湧き出る自然の泉水は、ひとつでも新鮮できれいで、様々な恩恵に与っていたので、いくつかの力があると考えられていたんだ。まず、水は、全ての生命維持に絶対不可欠な存在であり、成長させる「生育力」がある。水がなかったら、全ての生命は生きてゆける。また、汚れや垢を洗い落とす「浄化力」があり、枯渇したのどを潤してくれたり、水浴などで触覚に寄る心地よさを味わせてくれる「清涼感を与えてくれる力」がある。また、常に上から下へ流れ続ける「流動力」から転じて、「運搬力」や「動力」になったりもする。大自然が与えてくれる水の力は、考えてみるとまだまだありそうだ。そのような水の力を昔の日本人は珍重し、信仰の対象にもしていたんだ。

 2.3.2

 禊 禊 日本の宗教的儀式に水が重用されていることからもそれがわかる。特に、 「みそぎ」という風習である。神道は禊ぎ(みそぎ)に始まり、禊ぎに終わるといいます。

 そして、その起源は古事記によると伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の禊ぎにあります。亡くなった妻、伊弉冉尊(いざなみのみこと)を黄泉の国(死後の世界)まで追い求めた夫、伊弉諾尊が再びこの世に戻ってきたときに、黄泉の国で穢れてしまった我が身を、川で禊いで祓い清めたことによります。

 つまり、禊ぎとは黄泉の国からこの世に戻る時に行う「蘇生術」なのです。それは新たに生まれ変わるための、命の蘇り(黄泉帰り)を意味します。そして、生まれ変わるとは、後ろに戻ってやり直すことではなくて、前へ進むことです。だから、「生まれ変わり」と「やり直し」は違うのです。

 過去を後悔したり、過去を恨んでいたのでは、意識は後ろを向くばかりで、生まれ変わって先へ進むことは出来ません。後ろを向き、過去に囚われるのは、もう一度過去に戻ってやり直し、それを取り消したいからです。しかし、私たちの人生は精神的に新たに生まれ変わって、未来に向かうことは出来ても、過去に戻ってやり直すことは出来ません。

 それではどのようにすれば、私たちは生まれ変わることが出来るのでしょうか。それは過去を受け入れ、感謝出来たときに、そこに囚われの心がなくなり、前へ先へと進む生まれ変わりが起こるのです。それが精神的な命の蘇りを意味するのです。そして、過去へのこだわりを水に流して、それをさらに感謝に変えることが出来たとき、それが本当の心の禊ぎとなるのです。

 「死」もまた、生まれ変わるための禊ぎです。しかし、過去を後悔したり、恨んでばかりいる人は、生まれ変われずに地縛霊や浮遊霊となります。感謝のない「無念の死」は、禊ぎとはならないからです。過去を水に流し、与えられた人生に感謝できた人が、生まれ変わって来世を迎えることが出来るのです。

 そして、日は沈み、また昇るという自然の摂理にしたがって、人の心と身体も。大自然の水の持つ浄化力を如実に実感していた日本人だ。そして、心身浄化という観念から生まれた最初の浴場だ。なるほど、こうして見てくると、日本人のDNAに潔癖症が染み付いていて、お風呂好きであることもわかる気がする。

 第三章

 現代の日本の風呂

 3.1

 家庭浴槽

 日本人の家庭浴槽は中国人と違って、中国人は家でだいたいシャワーを浴びるが、日本人はお風呂に入る。中国人はお風呂に入っても一人が終わってすぐ浴槽の水を放す。しかしながら、日本で、こんな順番がある。まずは父親で、次は長男、それから息子、娘、最後は母親である。それで最後の人入った後で浴槽の水を放す。まずシャワーを浴びて、お風呂に入る。後はもう一度シャワーを浴びる。つまり、浴槽の水が主な作用は体を暖かくなるという役である。

 今、使われている住宅用浴槽には洋式、和式、和洋折衷式の三種類がある。その中で、最もよく使われるのは和洋折衷式の浴槽である。洋式は長すぎるで、和式は深すぎる。浴槽の設置方法には埋め込み式、半埋め込み式、据え置き式があり、浴槽の設置方法も跨ぐ高さを抑える半埋め込み式がもっとも安全だ。

 3.2

 大衆風呂場

 日本にある伝統的な風呂場はだいたい大きい屋根がある建物で、お寺みたい。入口に掛けるカーテンに大きい「女湯」と「男湯」が書いている。浴槽の入口で、顧客は靴を脱いで、切符を買って、それから更衣室に入る、服が1つの専用のかごに入れて、棚の上まで放置して、それから浴室に入る。

 浴室の中にひとつの 10-20 人が入れるの大きい池がある。壁ぎわは 1 列 1 列の湯の蛇口と水の蛇口である。入浴する時は多くの決まりがある。先に石鹸いっぱいのスポンジで注意深く体を塗ったり、こすったりにして、きれいになって、お湯できれいに洗って、ようやく池に入ることができる。からだに水をかける時できるだけ姿勢を抑えて、水は他人まではね上がらないように注意する。人が多い時、お互いに蛇口お遠慮する。浴槽の中で髪を洗ったり顔を洗ったりすることができない。タオルを洗うこともできない、更に下着を身につけていて浴槽をおりることができない。これらの決まりは日本人ができるだけ他人に影響しなくて、他人に面倒をかけらせないという伝統を表す。

 3.3

 温泉

 日本は世界一の温泉の国と言われている。日本ほど温泉に恵まれた国はない。

 それで、温泉もいろんな種類がある。特別なのは「打たせ湯」、「足湯」、「飲泉」である。

 1、打たせ湯(うたせゆ):打たせ湯は、浴場における湯の利用形態の一つである。

 高所に設置した湯口から多量の湯を放出し、湯の落下地点に人が立ったり、座ったりした形で湯に体を当て、湯の勢いでマッサージ効果を得ることを狙ったものである。打たせ湯の場所には通常は浴槽は設置されず、利用された湯はそのまま排出される。また、通常は立つまたは座る形での利用のため、その利用者のスペースは多くは確保されていないが、寝そべった形での利用も想定している場合は、それに合わせた広いスペースを提供している。

 打たせ湯は多量のお湯を利用するため、常時放出型の打たせ湯の場合、通常は温泉で提供されることが多い。また利用形態の都合、エアロゾルが大量に発生することは避けられない。そのため、レジオネラ菌対策(循環したお湯からのエアロゾル発生を避ける)もあり、通常は掛け流しにて温泉が提供される。

 打たせ湯を名物としている温泉地も存在し、その代表例は筋湯温泉である。

 2、足湯(あしゆ):足湯とは、足だけ温泉に入浴するための浴槽、およびそれが設置してある場所のことである。

 服を脱がずに手軽に温泉を楽しめるので、温泉街の街角に設置されることが多い。他にも、鉄道駅、道の駅、公園など、観光客が多く集まる場所で見かけることができる。日本の場合、ほとんどの足湯は無料で利用できるが、一部では寸志または料金として 200 円未満の金額で楽しむことが可能な場合もある。

 全身で入浴する通常の温泉と違って、足湯だと膝下だけしかお湯につからないので、のぼせにくい。また、足には太い血管が通っているので全身を温めることができる。足湯の一部には手湯がある施設もある。これは、手からも暖める湯である。

 当然靴、靴下類を脱ぎ裸足にならねば入ることはできない。中には更衣室が用意された足湯があるがそれはごく僅かである。しかし鳴子温泉や城崎温泉の

 ように、下駄を履いて歩くことを前提としてある温泉地もあり、そこでは素足に下駄で過ごせば問題ない。有名なのは「道後温泉」である。

 3、飲泉(いんせん):飲泉とは、温泉を飲むという行為、またはそのことによって病気の回復などの効能を得ようとすること。

 一般に飲める温泉のことを温泉飲料と呼ぶ。

 古く湯治においては、温泉に入るだけではなく、飲泉を行うことによってさらに回復効果が高まるという考えがあった。また、特に炭酸泉などは「霊泉」といわれ、薬効が高いものとして珍重されたほか、嗜好飲料として飲まれることもあった。明治時代、大正時代にはサイダー飲料の原料として炭酸泉が用いられた事例も存在する。代表例としては、有馬温泉の「有馬サイダー」などである。

 現在でも、露天風呂の注ぎ口などにコップや柄杓などを設置して利用者に飲ませたり、別途蛇口を設置して、飲泉設備として整備している例が散見される。

 とはいっても、強酸性や強食塩泉であったり、温泉成分として水銀やヒ素等を含むなど、泉質によっては飲用に適さないものもある。また、温泉といっても循環風呂の注ぎ口のお湯は衛生上問題があるので飲むべきではない。たとえ掛け流しでも、保健所に飲泉許可を取得していないことにより、飲泉が禁じられている場合もある。

 温泉分析表別表には、飲泉に関する禁忌がのっているので、飲泉の際の可否判断の参考になる。

 第四章

 風呂文化から見た日本人の特徴 4.1

 日本人の清潔意識

 日本人は清潔好きだといわれる1番の理由に風呂好きを挙げる。お風呂が好きなのは清潔を追求することの具体的な表わしである。日本は清潔に独特な見解がある。主なのは日本独特な自然環境から来た神道教の影響を受けたからである。日本における宗教の信者数は、文化庁「宗教年鑑」によると、神道系が約 1 億 600 万人、総人口の数が約1億2千万の日本にとっては、だいたいすべての日本人は神道系の信者と言えるだろう。

 神道は太古の日本から信仰されてきた固有の文化に起源を持つとされる宗教である。宗教名の多くは何教と呼称するが、宗教名は神教ではなく「神道」である。大和民族の伝統的な民俗信仰・自然信仰を基盤とし、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立して、現世を重視する。だから、多くの神社が日本各地にある。自然はあらゆる生命の源であり、日本人はその中に神様が存在すると信じてきた。人は自然なくしては生きていけない。自然を尊重することは日本人の頭の中に根を下ろしている。神様に関するの伝説も日本人によく知られる。その中、イザナギ ② とイザナミは、神話のなかに一番重要なのである。天地開闢において神世七代の最後にイザナミとともに生まれた。国産み・神産みにおいてイザナミとの間に日本国土を形づくる多数の子を儲ける。その中には淡路島を筆頭に本州・四国・九州等の島々、石・木・海(大綿津見神・おおわたつみ)・水・風・山(大山津見神・おおやまつみ)・野・火など森羅万象の神が含まれる。

 イザナミが、火の神である軻遇突智(迦具土神・かぐつち)を産んだために陰部に火傷を負って亡くなると、そのカグツチを殺し(その血や死体からも神が生まれる)、出雲と伯伎(伯耆)の国境の比婆山に埋葬した。

 しかし、イザナミに逢いたい気持ちを捨てきれず、黄泉国まで逢いに行くが、そこで決して覗いてはいけないというイザナミとの約束を破って見てしまったのは、腐敗してウジにたかられ、雷に囲まれたイザナミの姿であった。その

 ②

 :日本神話に登場する男神である

 姿を恐れてイザナギは逃げ出してしまう。追いかけるイザナミ、雷、黄泉醜女らに、髪飾りから生まれた葡萄、櫛から生まれた筍、黄泉の境に生えていた桃の実を投げて難を振り切る。

 黄泉国と地上との境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の地上側出口を大岩で塞ぎ、イザナミと完全に離縁した。その時に岩を挟んで二人が会話するのだが、イザナミが「お前の国の人間を 1 日 1000 人殺してやる」というと、「それならば私は、1 日 1500 の産屋を建てよう」とイザナギは言い返している。

 その後、イザナギが黄泉国のケガレを落とすために「筑紫の日向の小戸の橘の檍原」で禊を行った。

 神道にとっては、人と神が同じく大自然に属して、人が神の分身だとされている。神は清潔で、神の分身としての人も清潔だといわれる。神様が清潔で、純潔はずだ。神の分身の人も清純であるはずだ。人と神と接触する最もよくある方式は神社に行て、参拝することだ。本殿に達す前に、水槽に手を洗うという儀式が浄身という意味もある。こうしなければ参拝の資格もない。神様が穢れが一番嫌いだ。穢れというのは一切の汚れと一切の非正常の異態だ。この穢れは神様を怒られて、不幸を招致するものである。禊祓が汚れを取り除くことができる。禊をして、体の汚れを取り除く。それに、祓をして、精神的な汚れを取り除く。その後、仏教が日本に普及するにつれて、仏教は神道とごっちゃになってしまっている。この仏教でお風呂に入れば病気を癒す思想がお風呂文化を豊かにしたのである。

 4.2

 日本人の審美意識

 昔から、日本人は生命と『清浄』を密接に関連すると思って、しかも『清浄』が美しいものであると思っている。禅宗の本意あるいは性の根本的な特徴は『清浄』と思って、『清浄』はっまり『空無』である。これらの思想の上の似ていることこそ、日本の美学と禅宗の美学の融合のためにきっかけを提供して、禅を日本の民族の生活と芸術の中にしみ込ませたのである。日本の民族の審美観に深い影響を与えた。中世後で日本人の美感が物事の「感傷的になること」から実体の物事を引き出して、ただ感傷が残っている、しかも次第に『さび』、

 『わび』から最後に唯心の傾向の上でとどまる。『侘』(わび)とは、正直で、へりくだっているのみならず、清潔で、無垢の意味もある。『寂』は内から生まれてきたの質朴簡素な自然美である。作家の寺田寅彦によれば、古いものの内側からにじみ出てくるような、自然そのものの作用に重点をおいた、外装などに関係しない美しさのことだという。『わび』の中に、穢れ無き美しさを見出し、『さび』の中に自然そのもののあるがままの美しさを見出す。『わび』『さび』の美の最大の特徴は、質素倹約でありながら、富と関係がない。だから、美が上流階級だけのものじゃなく、王侯貴族だろうが、庶民だろうが、同じように、『わび』『さび』の美を求めることができる。日本的美意識は、富と無関係であるが故に、庶民への普及を促進しつつ生活に密着した。たとえば、周囲の自然に対するの愛護、環境を清潔に維持することなど。清潔と質素に熱中している日本人の審美意識は、具体的に表すと、日本の風呂文化である。風呂を通して体の清潔を維持するも美に対することも美を追求することである。物事に対しての感受性は鋭くて、精巧な清純のものを求めることが好きである。同時日本の静寂な自然環境と淡泊な精神、日本の民族に簡素、淡泊な性格を形成させた。清めの思想を内に向かって求めることで、正直さ、誠実さが最も大切なものという意識を浸透させていったし、清めの思想を外に向かって求めることで、無為自然、あるがままの姿が美しいとする、いわば、日本独特の美意識を生んだのである。日本人がお風呂が大好きのは日本独特な審美意識に関係があるに違いがない。

 4.3

 主な社交場としての存在

 風呂は汚れを取り除くだけでなく、娯楽、社交の重要な場だと日本人は思う。だから、日本人がお風呂を親しんでいる。そこで、だれでもしらないだが、気楽で交流することができる。身分と階級のない、ただ個人と個人の交流である。日本人は「はだかのつきあい」と言う。十九世紀の式亭三馬が「浮世風呂」に書いたのどおりで、天下の中で、最も適切な交流して教育するの方法は入浴することおである。あなたは貴人か上品な人か、それとも普通のひとかにかかわらず、、入浴するの時誰でも裸誕生のような裸である。このようなはたかのつ

 きあいは、人の身分の高低を忘れらせて、一種の要求のない仏教の境地に昇華した。みんな茶を飲んだり、菓子を食べたり、囲碁・将棋を楽しんだりするものだった。日本という国は等級観念はとても厳しいけど、一緒に風呂に入った時、仲間たちや、上司と社員など、皆は平等で、世間話をする。

 入浴する時、日本人は自分の穏やかを忘れて、親しくなる。こんな時が子供も暖かく感じて、集団生活と社会生活を勉強する。親と子が平気で交流をできる。この冷酷な世界で、こんないい機会を失わないべきだ。だから、いまも日本で風呂文化が発展している。

 おわりに 日本人にとって、自然は神霊が与える神物である。やさしくて親しい。人類と決して敵となることはないのである。日本人から見ると、自然は生命を持ってきて、食品も持ってきた。人々は自然を後へ退き、自然と共生である。そこで、自然と一体になって、自然の心が自分の心となるという理念は日本の哲学、思想、宗教などの精神的なイベントの根本となった。日本の沐浴文化は、自然に対する最も良い解釈である。

 日本の伝統の文化の中で、茶道や生け花や相撲などは日本社会の発展に従って比較的に自分の伝統の元素をよく維持したが、沐浴文化の変化は大きくて影響が深いのである。沐浴文化の発展は社会の変化から直接影響を受けたとともに沐浴文化は人々の交流や教育方式ひ影響した。沐浴文化は日本社会の縮図である。

 本文は日本のお風呂の歴史からはじめて、昔からこのお風呂文化の発達した原因を紹介した。水多くて、気温の差も多いである。そのため、汗で体がべとべとしている時や雨に降られて濡れた時、あるいは冬になる時、お風呂に入れば、さっぱりして気持ちも良くなる。火山がいっぱいあるので、温泉に恵まれている。もう一つの原因は自然崇拝と禊である。特に水の力。この三つの原因で、お風呂文化は今の状態になってきた。家庭浴槽、大衆風呂場、温泉、いろんな形式がある。

 昔から今までのお風呂文化から見ると、日本人は特別な清潔意識と審美意識がもっているだけでなく、風呂場も日本人の娯楽、社交の重要な場である。この冷酷な世界では、身分と階級がなくて、気楽で交流する機会は失わないべきだ。だから、日本のお風呂文化はずっと発展している。強制することを始めるならば、いま、日本人の人間関係を調和したり、友達と付き合ったり、青少年の集団生活する意識を育成するにとって重要な手段にたった時、入浴することは日本人の特有な楽しみと人生の享受となった。沐浴文化は日本の文化の中で不可欠な一部分にもなった。

 参考文献

 1、韩维拄,日本文化教程[M ],南开大学出版社,2008 2、日本国家概况[M ],南开大学出版社,2007 3、式亭三马. 浮世澡堂 [M ].周作人译.中国对外翻译出版公司,2001. 4、江夏 弘. お風呂考現学 [M ]. TO TO 出版,1997. 5、 6、 7、叶渭渠. 日本文化史[M ].广西师范大学出版社,2003. 8、张大柘. 简论日本神道教祭祀的原理、构成及主要特质[J ]. 2000. 9、 ドミニック・ラティ 高遠弘美 訳 『お風呂の歴史』 文庫クセジュ 白水社

 謝

 辞

 この論文が出来上がるまでの道程を振り返ってみると、改めて私を支えてくれた人々のことを思い出します。この論文を作成する際に、この場を利用してご協力いただいた方々に御礼の言葉とさせていただきます。

 本論文を執筆するのは私だけであったが、先生の手助けがなければ完成できないと思います。まず何よりも、指導教師であるに、論文のテーマ決定から、資料収集、書き方、言語表現までいろいろ親切にご指導いただき、日本語ばかりではなく、中国語の表す方及び日本式の思惟をまじめにご指導いただき、誠に感謝の念に堪えません。本稿を書く間に、準備不足で観点が不明確などの問題に困られたが、先生からたくさんの珍しい意見をいただき、ここで、誠に感謝の意を表します。

 また、日本語学部の諸先生から四年間ご指導鞭撻をいただき、謹んで深甚なる感謝の意を表します。

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